前編では、AIの時代になぜ身体で表現することが大切なのか、そして特別な技術がなくても誰もが奏でられる理由についてお伝えしました。読みながらわたしは、これはきっと、頭で理解するだけでは足りない、実際に自分の身体で確かめてみないとわからないものだ、と感じていました。実はこの展示会には、ジェスチャーオーケストラを実際に体験できるブースが用意されていました。専用のグローブを装着して、自分の1日を音にしてみる——後編となる今回は、その体験についてお伝えします。

シーンを選ぶ、というはじまり
ブースに着くと、まず尋ねられたのは「今日はどのシーンで体験してみますか」ということでした。選択肢は3つ。
海沿い
森の中
都会
それぞれのシーンごとに、鳴らされる音の質感が変わるようでした。波と鳥のさえずりが軸になる「海沿い」、木々のざわめきが軸になる「森の中」、雑踏や人の気配が軸になる「都会」。しばらく迷って、わたしは「海沿い」を選びました。理由はうまく言葉にできなかったのですが、たぶん、いちばん身体の力が抜けている自分を想像できたからだと思います。

レクチャー——手が音になる、という感覚
専用のグローブを装着し、まずは自由に手を振ってみるところから始まりました。

「自由に手を振ってみてください」
言われるがまま手を振ると、オルガンの音、ウィンドチャイムの音、波の音、鳥の声——さまざまな音がランダムに聞こえてきます。最初は「音が鳴っている」という事実に反応するだけで精一杯でしたが、少しずつ、手の動きと音の変化がつながっていることに気づき始めました。
ここで少し補足しておきたいのですが、ジェスチャーオーケストラは本来、日々目にしたもの、耳にした音、身体感覚、そしてそれらに紐づく感情や記憶、さらにはバイタルセンシングや感情センシングによって取得された生体データまでも、AIのサポートを受けながら、ひとりひとり固有の「ライブラリ」として蓄積していく仕組みだといいます。演奏の瞬間には、そのライブラリの断片がリアルタイムに再構成され、音として立ち上がってくる。今回の体験では、この個人のライブラリの代わりに、会場側であらかじめ準備された音のライブラリを使わせてもらいました。

鳴っていたオルガンやウィンドチャイム、波の音や鳥の声は、いわば体験用に用意された「共通のライブラリ」だったということです。もし本当に、自分自身の記憶や身体感覚、生体データから積み上げられたライブラリを使うことができていたなら——このとき聞こえてきた音は、まったく違う手触りのものになっていたはずです。
大きく、指揮者のように手を振ると、音楽がぐっと盛り上がる。
手のひらを大きく開く(パー)。
親指と人差し指をそっと合わせる。
手を握りしめる(グー)と、音が静まっていく。
同じ「手を動かす」という行為なのに、開き方ひとつ、握り方ひとつで、生まれてくる音の表情がまったく違う。これは単なる操作ではなく、身体の緊張や弛緩がそのまま音の強弱に翻訳されている感覚に近いものでした。

本番——思い出しながら、指揮するように
レクチャーが終わると、いよいよ本番です。スタッフの方からはこんな声がけがありました。
「今日はここに来るまでの間に、見たもの、聞いたもの、感じたこと。そういったことを思い出しながら、始めてみてください」
わたしは、今日この会場に来るまでの道のりを思い出してみました。ワクワクしながら電車に乗ったこと、高輪ゲートウェイ駅の新しい空気、会場に向かう途中で目に入った風景。ひとつひとつは取り立てて特別な出来事ではありません。でも、思い出しながら手を動かしていくと、その何気ない記憶たちが、たしかに音の質感として立ち上がってくる瞬間がありました。
終盤に向けては、まるで指揮者になったかのように、手を大きく振りながら、その日の気持ちを音に乗せていきました。「表現しよう」と頭で考えるというより、思い出す→身体が動く→音が鳴る、という順番が自然に起きていて、気づけば「操作している」感覚がほとんどなくなっていたのが印象的でした。

理論と体験がつながった瞬間
会場の展示パネルには、こんな言葉がありました。
ジェスチャーオーケストラの仕事は、単に音楽を制作することではない。生み出された音の最も重要な聴衆は『自分』であり、演奏を通して、自分でも気づけない内面に触れることが、ジェスチャーオーケストラの出発点となる
—— 展示パネルより
体験する前は、正直「観客に何かを伝える表現」というイメージが強くありました。でも実際に手を動かしてみると、真っ先に何かを受け取っていたのは、他の誰でもなく自分自身でした。道中の記憶を思い出しながら手を振っているうちに、忘れかけていた感情の手触りが、音を通して思いがけず戻ってくる。
まだ実用段階にあるものではなく、あくまで「こんなことができるかもしれない」という展示であることは、体験しながらも強く感じていました。それでも、この数分間の体験は、わたしにとって単なる未来のデモンストレーション以上のものでした。
これからの時代に、わたしが感じたこと
前編で触れた「AIが『上手い』を独占する時代に、何が残るか」という問い。展示の冒頭にあった、あらゆるアウトプットが「平均的な最適解」へと収束していくかもしれない、という不安な問いかけを、あらためて思い出します。
AIがあらゆる情報や作業を代替できるようになっていく時代に、最後まで代替されずに残るのは、「自分が何を感じ、何を表現したいのか」という、その人固有の経験そのものなのではないかと思います。そしてこれからは、その経験を自分の中に留めておくだけでなく、誰かと分かち合い、伝えていくことの価値が、より一層大きくなっていくのではないでしょうか。
データや情報としてではなく、あのときの感覚そのものを誰かと共有できるとしたら。それは、人と人がもっと深いところで心を通わせる、新しいコミュニケーションのかたちになっていく気がしています。
Bodygraphyを通じて、私が向きあってみたいテーマの一つである「ダンサーではない人が、身体を通して自分の内側に触れる」というものも、この体験を通して、また少し違う角度から見えてきたように思います。専門的な技術がなくても、自分の記憶や感情を、身体を介して誰かに手渡せる——表現できるその可能性を、これからも探っていきたいと思います。
Exhibition Info
0次開発Project|まだ存在しない未来の職業展 2045
OKAMURA × 0次開発プロジェクト
10:00 – 18:00(6/18のみ15:00〜)
東京都港区高輪 2-22-1
(高輪ゲートウェイ駅直結)
この記事は会期中に実際に足を運んだ体験をもとに書いています。